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弊社の沿革

「Littelfuse」の由来
当社の社名が「Littelfuse」となった由来をご存知ですか?当初、創業者のエドワード・V・サンドは「Little fuse」という名前で特許を申請しましたが、一般的すぎるという理由で却下されたため、苦肉の策として「l」と「e」を入れ替え、「Littelfuse」としたのです。

2010

2010 年代

回路保護から
さらに事業を拡大

2010年、当時すでに回路保護の分野で世界をリードしていたリテルヒューズは、主に買収を通じて電力制御・センサー分野への事業拡大に乗り出しました。2016年には年間売上高が 10 億ドルを超え、5 年間の戦略目標である複合年間成長率 15% を達成しました。

さらに、ドイツのベルリンにヨーロッパでの新たな拠点を開設したほか、米国では工業、自動車、電子機器のアプリケーションに特化した 3 か所の研究開発拠点を立ち上げました。

ドイツのラムパートハイムにあるリテルヒューズの製造工場内、2019年
デイブ・ハインツマン / リテルヒューズ CEO(2017年~)

デイブ・ハインツマン

2017-

ゴードン・ハンター / リテルヒューズ CEO(2004年~2017年)

ゴードン・ハンター

2004-2017

22

南北米大陸の拠点

12

ヨーロッパの拠点

19

アジアの拠点

マップ-2010年

この時代の画期的な技術革新

夕暮れ時のウィンドファーム
スマート風力 & 太陽光発電
2014
作物の上を飛ぶ農業用ドローン
農業用ドローン
2014
iPad を手に持った人
iPad
2010

2000

2000 年代

回路保護分野の
リーダーとしての地位を確立

数十年間にわたって革新を続け、戦略的な買収を進めることで、リテルヒューズの回路保護製品は世界で最も幅広い充実したラインナップを誇るまでになりました。

このほかの主な出来事としては、米国イリノイ州のデスプレーンズからシカゴへの本社移転、スタートコ社の買収による保護リレー市場への進出(2008年)、5 億ドルの売上高達成(2004年)が挙げられます。

米国イリノイ州シカゴのリテルヒューズのグローバル本社(2019年)
ゴードン・ハンター / リテルヒューズ CEO(2004年~2017年)

ゴードン・ハンター

2004-2017

ハワード・ウィット / リテルヒューズ CEO(1990年~2004年)

ハワード・ウィット

1990-2004

中国の無錫に新しい製造工場を開設

フィリピンの電子機器製造工場を拡大

中国の無錫にあるリテルヒューズ工場の外観

この時代の画期的な技術革新

グレーの iPhone の部分画像
iPhone
2007
地図上のある地点を指さす手
Google マップ
2005
デスクトップパソコンに表示された Facebook のページ
Facebook
2004

1990

1990 年代

回路保護分野の
トップ企業に

1990年代の終わりには、リテルヒューズは世界に 16 か所の拠点を持つグローバル企業となり、さらに回路保護分野のトップ企業としての地位を確立すべく、事業に邁進しました。

このほかの主な出来事として、トラコー社傘下からイリノイ州の企業として独立(1991年)、米国のすべての拠点で ISO 9000 認証を取得、そして継続的改善の文化を確立するため全社でシックスシグマの目標を掲げたことが挙げられます。

主な製品 & アプリケーション

リテルヒューズのクラス J ヒューズブロック(さまざまな角度から)

クラス J ヒューズブロック

モーター制御

世界最小のヒューズブロック

ハワード・ウィット / リテルヒューズ CEO(1990年~2004年)

ハワード・ウィット

1990-2004

4 大陸に 16 か所の製造 / 流通 / 販売 / エンジニアリング拠点

中国の香港に営業所を開設

横浜にエンジニアリング・オフィスを開設

受賞歴

  • 1999年「ベスト・エレクトリカル・コンポーネント・サプライヤー」

    自動車業界誌

  • 1998年「プロダクト・オブ・ザ・イヤー」

    プラント・エンジニアリング誌、クラス J 表示用ヒューズ

  • 1995年「プロダクト・オブ・ザ・イヤー」

    プラント・エンジニアリング誌、3AG 表示用ヒューズ

  • 1994年「プロダクト・オブ・ザ・イヤー」

    プラント・エンジニアリング誌、IDSR

この時代の画期的な技術革新

Google 検索のホームぺージが表示されたデスク上のノートパソコンと鉢植え
Google 検索
1998
DVD プレーヤーのフロントパネル
DVD プレーヤー
1996
コンピュータ画面に表示された Linux のコード
Linux オペレーティングシステム
1991

1980

1980 年代

さまざまな分野での
飛躍的進歩

1980年代には消費者向け技術が飛躍的に進歩しました。どの技術でも回路保護が必要となるため、電子機器や車載用のソリューションで技術革新が進みました。

またこの時期、最先端のパワーヒューズ製造工場と高電力試験ラボを建設し、工業市場への参入に注力しました。1987年には防衛企業のウエストマーク・システムズがリテルヒューズとトラコーの買収を先導しました。

工業施設の外観
ウォルター・クレメンツ / リテルヒューズ CEO(1981年~1990年)

ウォルター・クレメンツ

1981-1990

ジャック・ヒューズ / リテルヒューズ CEO(1965年~1981年)

ジャック・ヒューズ

1965-1981

シンガポールに営業所を開設

イリノイ州に高電力ラボを開設

受賞歴

  • 1986年第 1 四半期「クオリティ・アワード」

    フォード・モーター・カンパニー、米国イリノイ州デスプレーンズの工場

  • 1985年第 1 四半期「クオリティ・アワード」

    フォード・モーター・カンパニー、米国イリノイ州ウォツィーカの工場

この時代の画期的な技術革新

ニンテンドーエンターテインメントシステムのコントローラとコンソール
ニンテンドーエンターテインメントシステム
1985
ノートパソコンの画面に表示された Microsoft Word
Microsoft Word
1983
酸化コバルトカソード材料
酸化コバルトカソード
1980

1970

1970 年代

世界標準の
確立

現代社会の発展に伴って本格的なコンピュータの利用が拡大し始めたため、リテルヒューズはコンピュータ用ヒューズを開発しました。また自動車産業向けには、初のブレードタイプ ATO 速断型ヒューズを発表しました。

この技術は発表後まもなくして業界の世界標準となり、これによってリテルヒューズは回路保護分野をリードする革新的企業としての評価を高めました。

マッキントッシュコンピュータに差し込まれるフロッピーディスク(1970年代頃)

主な製品 & アプリケーション

リテルヒューズの Littelites 表示用ヒューズ(2 種類のサイズ、縦と横の各ビュー)

Littelites 表示用ヒューズ

オフィスエレクトロニクス & ゲームシステム

ジャック・ヒューズ / リテルヒューズ CEO(1965年~1981年)

ジャック・ヒューズ

1965-1981

メキシコのピエドラスネグラスに製造工場を開設

メキシコ、ピエドラスネグラスにあるリテルヒューズ工場の外観

受賞歴

  • 1970年「アウトスタンディング・サプライヤー・アワード」

    ゼネラル・エレクトリック

この時代の画期的な技術革新

1970年代のパーソナルコンピュータとキーボード
パーソナルコンピュータ
1977
電子点火システムのコンポーネント
電子点火
1972
光ファイバーケーブルの断面
光ファイバー
1970

1960

1960 年代

最先端の
ハイテク技術

1960年代はリテルヒューズにとって激動の時代でした。宇宙開発産業に可能性を見出したリテルヒューズは超小型回路の開発に着手し、2 つのサブミニチュアヒューズ製品ラインがジェミニ有人宇宙飛行計画に採用されました。

1965年に創業者のエドワード・V・サンドが会長職を退き、同年の売上高は 1100 万ドルに達しました。1968年には、防衛技術サービス企業のトラコーがリテルヒューズを買収しました。

主な製品 & アプリケーション

リテルヒューズの MICRO™ サブミニチュアヒューズ(トップビュー、サイドビュー、ボトムビュー)

MICRO™ サブミニチュアヒューズ

航空宇宙産業

3 個のリテルヒューズ PICO® サブミニチュアヒューズ

PICO® サブミニチュアヒューズ

航空宇宙産業

ジャック・ヒューズ / リテルヒューズ CEO(1965年~1981年)

ジャック・ヒューズ

1965-1981

トーマス・ブレイク / リテルヒューズ CEO(1954年~1965年)

トーマス・ブレイク

1954-1965

英国に新しい製造工場を設立

米国イリノイ州デスプレーンズに新しい製造工場と本社を設立

米国イリノイ州デスプレーンズにあるリテルヒューズの施設の外観(20世紀半ば)

受賞歴

  • 1964年 ジェミニ 2 号打ち上げ機のチームフラッグ

    救命コンポーネントの必須部品のサプライヤー

この時代の画期的な技術革新

ARPANET 概略図
ARPANET
1969
天井に取り付けられた LED 電球
LED 照明器具
1962
コードレス電動ドリル
コードレス工具
1961

1950

1950 年代

ホームエンターテイメント
への進出

1950年代になると、リテルヒューズの回路保護製品は広く知れ渡り、さらに家庭用テレビの普及も追い風となりました。

米国では1950年代初頭の 3 年間で家庭用テレビの普及率が倍増し、1954年にはテレビのある家庭が 2900 万世帯を超えました。また、車載用製品ラインを拡大したことで、より多様な顧客層に最新の技術を提供することができるようになりました。

20 世紀半ばに家庭で使用されていた電話機、時計、ラジオ、テレビセットとテレビ台
アドミラルカラーテレビセットの回路保護を宣伝する 20 世紀半ばのリテルヒューズの広告

主な製品 & アプリケーション

さまざまな角度で置かれたリテルヒューズのテレビ用ヒューズ製品

テレビ用ヒューズ

ホームエンターテイメント

リテルヒューズの車載用ヒューズブロック(縦向きと横向き)

ヒューズブロック

自動車

初のダッシュボード下ヒューズブロック

斜めから見たリテルヒューズの車載用スイッチ

スイッチ

自動車

斜めから見たリテルヒューズの車載用リレー ディスプレイパネル

リレー

自動車

トーマス・ブレイク / リテルヒューズ CEO(1954年~1965年)

トーマス・ブレイク

1954-1965

エドワード・サンド  / リテルヒューズ CEO(1927年~1954年)

エドワード・サンド

1927-1954

米国イリノイ州デスプレーンズに新しい製造工場を設立

この時代の画期的な技術革新

集積回路(トップビュー)
集積回路
1959
コンピュータのハードディスクドライブ内部
コンピュータのハードディスクドライブ
1956
電子レンジのボタンを押す指
電子レンジ
1954

1940

1940 年代

無線通信の
時代

第二次世界大戦中、電気通信や航空産業向けの回路保護ソリューションを開発したことで、リテルヒューズの業績はさらに伸び、 1943年には売上高が 250 万ドルに達しました。

戦後はテレビやポータブルラジオの需要が高まり、用途に応じた新しい回路保護技術が求められるようになりました。同時に、新たな市場への進出やビジネスチャンス獲得の可能性も広がりました。

旧式のラジオのボタンを押す指

主な製品 & アプリケーション

飛行中の小型飛行機

航空機の回路保護

ダイヤル式電話機

通信回路保護

蓄音機

民生用電子機器の回路保護

エドワード・サンド  / リテルヒューズ CEO(1927年~1954年)

エドワード・サンド

1927-1954

米国イリノイ州シカゴに 600 名の従業員(1943年時点)

航空産業のニーズに対応するため、米国カリフォルニア州エルモンテで製造工場の建設を開始(1940年)

20 世紀初頭のリテルヒューズの製造工場で働く 2 人の作業員

この時代の画期的な技術革新

初期のポケベル
ポケベル
1949
腎臓透析装置の制御パネル
腎臓透析
1944
アクアラング(トップビュー)
アクアラング
1943

1930

1930 年代

エレクトロニクスの
発展

1938年に社名を「Littelfuse Laboratories」から「Littelfuse, Inc.」へ変更。売上高は1928年の 264 ドルから 10 年間で 105,000 ドルまで伸びました。

自動車および航空産業の急成長に伴い、リテルヒューズはこれらの市場を対象とした革新的なヒューズソリューションを開発。この時ユナイテッド航空のために開発した高耐久性ヒューズは、後に業界標準となりました。また、エレクトロニクス産業の創成期には先駆的企業のニーズに応えて最先端の技術を開発し、業績を伸ばしました。

20 世紀初頭の飛行機

主な製品 & アプリケーション

20 世紀初頭に発売されたリテルヒューズの車載用ヒューズとパッケージ

自動車用ヒューズ

20世紀初頭に発売されたリテルヒューズの航空機用ヒューズとパッケージ

航空機用ヒューズ

エドワード・サンド  / リテルヒューズ CEO(1927年~1954年)

エドワード・サンド

1927-1954

米国イリノイ州シカゴに新しい製造工場を設立(1939年)

この時代の画期的な技術革新

Z1 コンピュータの制御インターフェースと処理装置
Z1 コンピュータ
1938
工場の織機で使用されるナイロン糸
ナイロン
1937
20 世紀初頭のレーダー探知機
レーダー
1935

1920

1920 年代

始まりは
小さな一歩から

エンジニアのエドワード・V・サンドは 27 歳の時、自分の車を売って得た利益を資本金として会社を設立しました。それが、1927年創業のリテルヒューズ・ラボラトリーズです。

サンドはやがて、繊細なテスト用メーターの過熱を防ぐ世界初の小型速断保護ヒューズの特許を取得しました。1928年には、ラジオニュース誌に掲載した広告をきっかけに、1.10 ドル相当の最初の注文を獲得。1928年の売上高は 264 ドルでした。

愛車の横に立つリテルヒューズ創立者のエドワード・サンド(1920年代)
ラジオニュース誌に掲載されたリテルヒューズの広告(1920年代)

主な製品 & アプリケーション

リテルヒューズの No. 1081-c 低エネルギーメーターヒューズの図(1927年)

低エネルギーメーターヒューズ

照明

エドワード・サンド  / リテルヒューズ CEO(1927年~1954年)

エドワード・サンド

1927-1954

1927年に米国イリノイ州シカゴでリテルヒューズ・ラボラトリーズ創立

米国イリノイ州シカゴのダウンタウンの写真(1920年代頃)

この時代の画期的な技術革新

トランジスタの内部構造
電界効果トランジスタ
1926
離陸する小型飛行機
三発機
1926
青信号の信号機
信号機
1923